止揚学園の歴史


1954 年
福井達雨は同志社大学神学部2年生の時、知能に重い障がいのある子どもたちに初めて出会い、共に生きることを決意しました。その後、止揚学園の設立準備を進めました。福井は座敷の一間や天井裏、物置や牛小屋等に入れられていた子どもたちに出会い、この中にとじ込めたのは連帯のない私たち、私もこの子どもを片隅に押し込めた一人なのだという深い謝りの心をもち、(謝るということは行動に示すことや。誰もが胸を張って生きられる社会が来るよう、この子どもたちと共に歩もう)と心燃やされました。

1962 年
4/1 後援会発足
同志社大学神学部・緒方純雄教授の研究室を事務所に、有志が集まり、止揚学園の設立準備が始まりました。
8/26 止揚学園開園
近江八幡の廃寺を改造。多くの皆様のお支えで、4人の知能に重い障がいのある子どもと福井の生活が始まりました
障がいのある者とない者がぶつかり合って新しい世界を生み出していきたいと「止揚学園」と命名しました。止揚とはドイツのヘーゲルが唱えた哲学の用語です。生活当初、村の人たちから反対運動がおき、裏山から引いた水道パイプが切り刻まれたこともありました。理解がなかなか得られず、苦しい日々でした。


9/29 開園式
園児5名・職員3名の式に、50名を超す方が出席してくださいました。
10/1 学校教育始まる
障がいがあるからといって学籍もなくて学校に入れてもらえないのは社会への所属を奪うことだとの思いから、地元の市立島小学校、八幡中学校に学籍を求め、認められました。
子どもたちの教育は止揚学園に委託され、学校行事には登校し、交わりの場が広がっていきました。知能に重い障がいのある子どもたちが施設から集団で地域の学校に通ったのは全国でも初めてのことでした。

1963 年
7/31 第1回キャンプ始まる
井伊文子様の御厚意により、2泊3日のキャンプを彦根・憩いの家にて行いました。初めて止揚学園を離れ、琵琶湖畔で過ごすことのできたこのキャンプは心の故郷となり、建物の老朽化により使えなくなるまで、25回を数えました。地元の日赤奉仕団、婦人会の皆様が支えてくださいました。
12/9 学園歌ができる
作詞・福井達雨、作曲・中堀愛作、編曲・福永陽一郎。
「止揚の子どもだ、顔あげよう・・・」この歌と共に50年を歩んできました。

1964 年
1/27 ニワトリの飼育をする
1000羽のニワトリの餌と水やり、卵の整理は大忙し。寒い冬にはお湯を、暑い日には「ニワトリにカルピスあげよう!」と皆は優しいです。

1965 年
6/2 テレビに出演
毎日テレビ「宗教の時間」に、福井、佐藤謙治、面条洋子が出演し、障がい児教育について語りました。
10/25 小林嗣人さん召天(15歳)
糖尿病のため天国に召されました。開園以来初めての出来事で、知能に重い障がいをもつ仲間の人たちと真剣に生きる新たな決意の時でもありました。

1966 年
5/1 能登川町へ移転
入園者が増加し、新しい土地を与えられて現在地へ移りました。この頃より止揚学園の子どもたちを毎日登校させようと、能登川町の教育委員会に転校を申し入れましたが、「障がい児の来る所ではない」と断られ続けました。
6/25 読売テレビ「どこまでも歩け」放映
止揚学園の障がい児に学習権をとの叫びの様子が全国に流れ、反響を呼びました。

1967 年
2/22 社会福祉法人 汀会(みぎわかい)発足
3/1 認可施設止揚学園発足
児童福祉施設として認可されました。新館と職員住宅2棟ができました。
7/1 東京へ保母招待を受ける
現在に至るまで、富士見丘教会(故東方信吉牧師、東方敬信牧師、現在、秋葉恭子牧師)より毎年、職員の疲れを癒すようにと3泊4日、東京に招いてくださっています。

1968 年
12/30 内池章男さん召天(19歳)
急性肺炎のため、天に召されました。
「僕アホやない人間や」という彼の言葉は今も皆の心に生き続けています。この頃より日本基督教団 大津教会白百合会様の奉仕が始まり、現在も継続して、縫物等の奉仕を通して、温かい愛を伝えてくださっています。

1969 年
6/16 「僕アホやない人間だ」出版
「子どもたちの言葉にならない心の声を伝えよう」との思いで執筆した福井の初めての著書。
それ以後、多数の著書を執筆、出版するようになりました。
10/30 能登川にて学校教育開始
3年半の教育委員会との長く苦しい交渉の末、町立能登川南小学校、能登川中学校に就学が認められました。障がいをもつ子どもと、もたない子どもが共に学ぶ、教育の夜明けとなりました。


1970 年
4/8 15名が小学校に入学
7/26 学習権を守る会発足
止揚学園を中心に「全国障がい児の学習権を守る会」ができ、全国に広がりました。

1971 年
3/1 福井達雨の韓国講演
福井が日本人初の韓国心理学会名誉会員に選ばれ、韓国の障がいをもつ人たちの父母の会より、表彰されました。
8/31 韓国より崔 恵媛(チェー・ヘィウォン)さん、留学生として来園
その他、パキスタン、インド、フィリピン、インドネシア、米国、台湾、各国から一年間の研修に多数来園されるようになり、止揚学園の理想が全世界に広がっていきました。
10/25 「りんごってウサギや」「アホかて生きているんや」出版

1972 年
4/29 山口富貴子さん召天(16歳)
強いてんかん発作が重積し、天に召されました。
8/1 「止揚」創刊号発行
富貴子さんの死を悲しむだけではなく、この死によって知能に障がいをもった人たちから教えられたことを文章にし、多くの方に知ってもらおうと創りだしました。
この印刷にアインズ株式会社(当時は山田印刷株式会社)の宮尾英昭社長(現、相談役)様、皆様が献身的な協力をしてくださっています。
現在118号まで発行しています。
11/17 福井達雨 小原教育賞受賞
日本の教育界に多大な功績をあげたとして、「第1回小原教育賞」を受賞しました。
子どもたちの「ためにではなく共に」の教育が高く評価されました。

1973 年
5/5 創立10周年記念式典
新しく完成した新館2階ホールに於て、全国より300名を超す出席をいただきました。
福井は止揚学園10年の歩みを「目に見えないもの」と題して語り、理想を抱きつつ新しい歩みを始めました。この年、福井達雨、中日賞受賞。
皆の貼り絵の作品が滋賀県青少年美術展の特選に選ばれました。


1974 年
6/21 「町の家」開設
一戸建て住宅を購入し、知能に重い障がいをもつ人たちが地域社会で生活できるように4人の子どもたちと職員の家族が共同生活を始め、希望に燃え、「止揚の家」と名付けました。現在のグループホームの先駆けとなりました。

1975 年
7/20 井伊文子様の「求道無限」と福井の「生命をかつぐって重いなあ」の合同出版記念会
8/7 職員による募金行脚を始める
8/24 NHKラジオ放送
「生きる勇気」と題し、大塚全教様と福井の対談が放送されました。

1976 年
7/18 生活記録8ミリ完成
エルモ社あけびの会様の3年間にわたる労作「ためにではなくともに」「千人の一人百人の一人に」が同時に完成しました。貸し出しも行い、ボロボロになるほど大勢の方に見ていただきました。
8/1 「嫌われ、恐がられ、いやがられて」出版

1977 年
4/1 「僕たち太陽があたらへん」出版
10/29 「レタスの歌」芸術賞受賞
止揚学園の手作りの歌が賞を受けました。
“誰もが歌える手作りの歌”も今では450曲近くとなっています。
11/3 本館新築完成
多くの方のお支えにより、子どもたちの寝起きする大切な家ができました。壁紙等、子どもたちが選んだ色は明るく楽しい。あたたかい木造りの家、廊下は皆で毎日磨いて、顔が映るほど美しいです。

1978 年
5/5 創立15周年記念式典
800名以上の方の出席をいただき、福井は「この町に、止揚学園の子どもたちと何の差別もなく歩き暮らせる日の来ることを信じ、これからの30年に賭けたい」と語りました。神さまの導きにより、16年目を新しく歩みだす感動に満ちた記念式でした。
7/16 兄弟姉妹の会発足
園児の兄弟姉妹が止揚学園に集い、苦しみや喜び、今後どのように生きなければならないかを真剣に語り合いました。両親が高齢化し、兄弟姉妹がどのように連帯しあえるかが大きな課題となっています。
10/5 日本基督教団 京都教会女性会様による奉仕始まる
アイディアに富んだクリスマスの劇の衣装をはじめとし、生活全般で必要なものを現在も作ってくださり、皆の心が潤されています。
10/28 養護学校設置義務化問題
養護学校義務化は、町の学校、養護学校等を選ぶ自由が奪われること、障がいのない子どもたちも共に学ぶ場が失われることから、養護学校義務化に反対しました。職員と支援者の方々とで20日間をかけ、徒歩で文部省まで東海道550キロの平和行進を行いました。「子どもの笑顔を消さないで」はこの時生まれた歌です。


11/27 福井のマレーシア講演
アジア・キリスト教教育大会にて福井が主題講演を行いました。「共に生きる」という教育理念は感動を呼び、その後、各国の障がい児教育における指導者の養成という大きな役割を、止揚学園にもたらし、多くの留学生が来園しました。

1979 年
3/23 最後の卒業式
中学校を6名、小学校を8名が卒業しました。子どもたちには「おめでとう」の言葉もなく、つらい卒業式となりました。
4/1 養護学校義務化実施
子どもたちは就学先も決まらないまま、新学期を迎えました。いつものように、朝になるとランドセルを背負って学校に行きましたが、学校の中に入れてもらえず、泣きながら帰ってきました。次の日も、次の日も、そのようなことが続きました。
6/10 ドキュメント「いまだ学園待機」
読売テレビにて放映され、大きな反響を呼びました。
6/18 プールの使用拒否
夏を迎えた子どもたちに小学校長名でプール使用禁止を伝える通知が届きました。
「障がい者がプールに入ると不潔だ」との学校側の本心を知り、悲しみと怒りを強く持ち、(止揚学園内に誰でも入れる明るいプールをつくろう)と皆で決意しました。
12/14 乳牛、ニワトリの飼育本格化
平地飼いのニワトリの卵を「たまごいかがです♪」と歌をうたいながら近くの団地に売りに行き、みんな仲良しになりました。就学先の決まらない子どもたちにとってこれらの仕事が誇りとなりました。
12/16 江南幼稚園クリスマス
愛知県の江南幼稚園、第二幼稚園のクリスマスに招かれ、幼稚園児からの心からの献金をいただきました。以後、毎年恒例行事としてくださっています。

1980 年
3/1 止揚学園の仲間の人たちが創った絵本「ボスがきた」出版
社会に最も貢献した本として、新風賞や日本絵本賞を受賞しました。
幼児教育・学校教育において生命を学ぶ教材として用いられ、大きな反響を呼びました。
4/25 「子どもの笑顔を消さないで」出版
5/29 「みんなみんなぼくのともだち」出版
7/23 プール完成
待ちこがれていたプール。町の子どもたちも、誰でも一緒に泳げる楽しい止揚学園のプールとなりました。
9/17 「ダール・クッシュヌード」開園
止揚学園で研修されたアザライアさんがパキスタンで障がいをもつ子どもの施設を開園され、職員派遣等の支援を行いました。

1981 年
3/10 初めてのシンガポール旅行
絵本「ボスがきた」の印税で、夢が実現しました。重い障がいがある人の日本の飛行機(国際便)に初めての集団搭乗について、「他の人に迷惑がかかる」と断られましたが、3年越の交渉の末のことでした。初めて乗る飛行機、咲き誇る原色の花、青い空と海、動物たち。ほんものに触れた子どもたちに笑顔が戻りました。「神話を打ち破るために子どもたちがやってきた」と、シンガポールの新聞は報じました。


11/3 日本基督教団 明石教会の招待
故加邊永吉牧師 現在川上揚牧師・皆様の招待を受けて電車に乗り、子どもたち全員で出かけました。礼拝後、手作りの昼食をいただき、歌やゲーム等楽しい交流をしました。以後、毎年招待くださっています。
11/5 青山学院初等部生 内地留学始まる
小学生30名が先生、親の付き添いなしで4泊5日、知能に重い障がいをもつ人たちと共に過ごしました。初めての出会いから、食事や風呂、一緒に遠足、子どもたちは大切なことを一つ一つ感じ始めます。「みんなみんなともだち、美しい心をもっている!」現在も元気な子どもたちが毎年来園し、知能に重い障がいをもつ人たちと共に交わっています。2015年11月には34回目の交流が行われます。

1982 年
2/9 「みなみの島へいったんや」出版
子どもたちはシンガポール旅行の感動を原色で表現。22枚のはり絵が絵本になりました。
5/5 創立20周年記念式典
約1300人の方の出席をいただき、感謝の内に新しい歩みを始めました。
10/27 グループころっけ様奉仕始まる
「コロッケ」をはじめとし、異国情緒たっぷりの料理、季節感あふれた趣のある料理等、皆の笑顔が広がる料理を月に一度作ってくださっています。2008年11月には訪問200回を迎え、感謝の会を行いました。


1983 年
6/4 「おばあちゃんをすてちゃいやだ」出版
11/23 止揚シスターズ金賞受賞
生活の中から生れた「冬の夜」がNHKヤングミュージックフェスティバルで最高賞を受賞しました。

1984 年
4/21 「いのちを語る」落合恵子様との対談集を出版
「生きるって悲しくて楽しいなあ」大塚全教様との対談集を出版
4/23 台湾旅行は楽しいなあ
過去2回のシンガポール旅行へ体調が悪く参加できなかった2人が出かけました。これで全員が海外旅行をしました。
4/30 NHK「訪問インタビュー」放映
4日間にわたり、止揚学園の生活、福井の理念が余すところなく語られ、全国より大きな励ましを受けました。
11/18 日本基督教団 京都教会の招待
礼拝、手作りの食事、綱引き等の交流会で心と心を通わせました。以後、毎年続けてくださっています。
12/16 日本基督教団 近江八幡教会 クリスマス招待
教会学校の子どもたちとイエス様の誕生を祝い、楽しい交わりをしました。毎年、招待してくださっています。

1985 年
2/2 近江兄弟社ニコニコ募金をいただく
近江兄弟社様の援助により、自動車を購入。以後毎年、温かいお心をいただいています。
4/22 障がい者問題世界会議にて主題講演
日本代表として、福井がオランダに赴き、障がい者問題の現状と理念を訴えました。「共に」という考え方は共感を呼びその後、世界に広がっていきました。
5/22 「およげなかったかも」 出版
文明社会が進むにつれ、忘れられていく人間性。絵本を通して警鐘を鳴らし、踏みとどまる勇気をと訴えました。
この頃より聖カピタニオ女子高等学校との交流始まる
夏に泊まりがけで来園。また、秋には文化祭に招待してくださり、生徒の皆様との楽しい交わりを今もしています。

1986 年
5/18 神さまの子どもになりました
「どんなに重い障がいをもっていても、洗礼を受けさせてほしい」その願いが叶い、この日、止揚学園の知能に重い障がいをもつ人たち全員が、日本基督教団 能登川教会にて、故遠藤彰牧師より洗礼を授けられました。
「神さまの子どもになりました」「みんな兄弟姉妹」「私の誕生日です」20年におよぶ深い祈りと行動の末、やっと願いが叶えられ、喜びは教会中に満ちあふれました。


7/1 手作りの止揚ギャラリー完成
1988年6月には故岡本太郎様も来られ、皆の絵に感動されました。

1987 年
5/1 歌の絵本「子どもの笑顔を消さないで」出版
生活の中で生まれた450曲余の内10曲を選び、美しい絵を添えて出版しました。
「よい天気、ありがとう」出版
5/5 創立25周年記念の集い
各地より1500人の方が参加してくださり、25年間祈り支えてくださった皆様に感謝しつつ、新しい決意に満ちあふれた集いとなりました。
11/1 IBMびわこ現代絵画展87’入選
貼り絵等の作品が受賞。その後、何度も入選しました。

1988 年
10/10 新館改築
美しい大きな風呂となりました。壁のタイルには琵琶湖のカモが描かれています。
11/15 『ぬくもりカレンダー』ができる
『百万人の福音』に毎月連載していた、ぬくもりエッセイの絵を用いて、色鮮やかなカレンダーを作りました。「部屋が明るくなる」と好評で、その後毎年作っています。
12/1 壁画キャンパスの作成
豊中市三国の神崎川堤防に止揚学園の絵が大きく描かれました。「美しい川をとりもどそう!」という熱い思いの中、大きな大きな花の絵がニコニコ笑っています。

1989 年
4/1 成人施設になる
全員が18歳を超えたため、児童施設より成人施設に転換しました。入園している人たちの加齢化と共に、両親を亡くす人も増えてきました。止揚学園が一つの大きな家族として助け合いつつ、心豊かに生きていこうと、決意を新たに出発した時でした。
7/1 「春は空から」出版
「にわとりさんはネ・・・」出版
「はしれムンシー」出版

1990 年
6/29 パキスタンでのセミナー開催
福井と職員が障がい児教育の理論と実践の講師としてパキスタンに行きました。
8/19 小豆島でのキャンプ始まる
瀬戸内海を大きな船で渡り、大感激。島の自然に触れ、楽しくすごしました。
12/5 福井夫妻、台湾講演に出かける

1991 年
1/7 インドでセミナー開催
ケララ州にあるナバジョティースクールにて、福井が障がい児教育の理論と実技の講義を行いました。
止揚学園で研修したインドの職員初め、そこにいた皆が、障がい児教育の理想に燃え、目が輝いていました。
5/20 カットの奉仕始まる
大槻和子様、故稲葉裕子様が、皆のカットをしてくださり、笑顔が広がっています。
7/1 働く家、出会いの家 完成
「働く家が欲しい」という皆の長年の夢が、皆様のお支えで創立30周年記念事業として実現しました。貼り絵や染物、タイル画やクッキーがニコニコ、ピカピカ毎日生まれています。


7/24 フルマラソンに参加
ニューカレドニアの国際マラソンに、中西伊智郎さんが参加。
老いも若きも、障がいをもつ人ももたない人も分けへだてなく、共に助け合い、42.195㎞を走りました。

1992 年
2/2 インドへ車を寄贈する
皆さまの募金によってインドのナバジョティースクールにジープを一台贈りました。
6/9 韓国での出版記念会開催
福井の著書2冊が、以前、止揚学園に留学していた崔喜壽(チェー・ヒド)さんによって翻訳され、記念会と講演会が行われました。
10/10 創立30周年記念の集い
約1500人の方が集まってくださいました。
苦しい時、悲しい時、どんな時にも支えてくださった皆様に感謝し、福井は40周年に向けての決意を語りました。

1993 年
5/4 竹内美智代さん召天(26歳)
「子どもの笑顔を消さないで」の歌を口ずさみながら天国に召されました。誰もが手をつなぎ、笑顔の溢れる社会を!との美智代さんの祈りを感じ、新たな出発をしました。毎年、マキノ町にある美智代さんの家を訪ね、記念会をもっています。
11/14 揖斐川(岐阜県)フルマラソンに出場
中西さんらが出場し、地元の方とも仲良くなりました。

1994 年
1/27 シンガポール旅行
シンガポールでの4泊5日の楽しい旅となりました。出会った人々、シンガポールの花や動物のことを目を輝かせて語るみんなは喜びにあふれていました。
6/5 瀬上敏雄先生講演会
創立当初より支えてくださった大乗教東濃教会主管者瀬上先生の講演会を止揚学園で開きました。大きな感銘を受けました。
6/10 楊津(ようしん)小学校生来園
「止揚学園の人たちと出会いたい!」と、明るく元気な子どもたちが1泊2日生活を共にしました。その時に覚えた「子どもの笑顔を消さないで」の歌を卒業式にうたい、出会いによって生まれた「共に」の心を育んでいます。
6/15 新しいギャラリー「夢の家」完成
動物たちの絵を壁いっぱいに描き、クレパスや絵の具画・貼り絵・染物・手芸の作品を飾っています。絵にこめられた心の葉が観る人の胸を打ちます。












1995 年
1/15 インドに「止揚の家」生まれる
多くの方のお支えによって、インドのナバジョティースクールに30名の障がいをもつ子どもの住む家を贈りました。
インドの仲間の喜びの笑顔が広がりました。
1/17 阪神淡路大震災
現地に赴き、食料、衣料等を届けながら、皆様の安否を確認する毎日を過ごしました。
がんばれ神戸」の横断幕の中、取り残され、見逃されている弱い立場にある人々の苦しみを感じ、「がんばらなくてもよい。共に歩みましょう!」と行動しました。
6/10 「ゆっくり歩こうなあ」 出版
8/29 止揚学園ギャラリー展開催
福岡市立美術館での作品展。「いろんな人にこの絵に出会ってほしい」という福岡の高校の先生方の熱意と努力によって実現した作品展は多くの人々に感動を与え、私たちも「愛は行動です」ということを深く教えられました。

1996 年
9/7 岩手県よりポニーがやってくる
インドからの研修生にちなみ、チェリヤ(マレアラム語で小さくてかわいいの意)と命名。みんなと仲良しのチェリヤは、近所の方や保育園の子どもたちにも愛され人気者です。2008年11月に天に召されるまで共に歩みました。


1997 年
5/12 福井 台湾講演
8/4 大津NHKギャラリーにて「止揚展」開催
「美しい」「明るくて力強い」との多くの方の声に励まされ、毎日楽しく作品をつくりました。

1998 年
7/1 九州湯布院にて止揚学園作品展開催
湯布院駅舎で行われた作品展は、絵本の読み聞かせをするなどの企画もあり、広く人々の心に印象を残しました。
8/5 NHKラジオ第一「心の時代」にて福井の話放送
10/1 福井達雨 毎日社会福祉顕彰受賞

1999 年
2/5 近江八幡市立図書館にて作品展開催
岐阜県各地、その他の地域でも積極的に作品展を開催してくださり、多くの感想をお寄せいただき感謝でした。
6/26 「福井達雨の社会福祉顕彰受賞を記念して、止揚学園と共に歩む集い」を行う
8/31 滋賀県マキノ町にあるゲストハウス「アーカス」にてキャンプを始める
琵琶湖のさざ波を子守唄にゆっくりとしたキャンプをしました。加齢に伴い身体の衰えもあり、キャンプものんびりとゆとりのあるものになりました。琵琶湖は私たちの心の故郷、心が安らぎ、豊かになりました。
11/30 色とりどりの建物になる
各建物が老朽化によりひびわれ、ひどい雨漏りになり、外壁を美しく塗り直しました。

2000 年
6/4 止揚学園バザー
多くの方々の献品をいただき開催。地域の方々も沢山来てくださり、楽しんでくださっています。
7/1 ホームページ「ゆっくり歩こうなあ」開設
みんなの笑顔と心の温かさがインターネット上にも広がっています。
9/4 CD「この道さかのぼれば」(東芝EMI制作、発売元 牧童社)完成
「ぜひ、手作りの歌のCDを作ってほしい」という要望が強く、多くの方の祈りの内に完成。 「わたし、かしゅになりました!」とみんなの笑顔がまぶしく輝きました。

2001 年
3/17 CD完成記念コンサートを行う
CD完成を記念して、東京のabcホールにてコンサートが開かれました。福井の話と止揚シスターズの歌に大きな拍手と励ましの声をいただきました。
4/7 タイルの壁画完成
中島大祥堂様の新しいお菓子工場に止揚学園のみんなが描いた「くじゃく」の絵がタイル画となり、壁面を飾りました。
6/5 台湾旅行
知能に重い障がいをもつ仲間の人たちと親の方々、職員とで楽しい旅をしました。
6/20 「僕アホやない人間だⅡ」出版
福井の50冊目の著書となります。
8/8 パキスタン研修開催
教育・福祉講演と施設の職員養成のため福井が研修を行いました。
12/8 福井達雨 同志社大学福祉学会賞 実践部門受賞 1
2/9 NHKテレビ「こころの時代」放映
福井の話と止揚学園の様子が全国に流れ、放映後、多くの方が訪ねてくださいました。

2002 年
2/22 パキスタンに車を寄贈
「新しい車で安全に子どもたちを送迎し、病院にも連れていってあげたい」との熱い願いをもつ、パキスタンの障がい児施設ダール・ムサラートの人々。その祈りを日本で多くの方々が支えてくださり、沢山のご協力によって車を贈りました。ダール・ムサラートのみんなの感謝の声がいっぱいいっぱい響きました。
5/3 門司にて作品展開催
九州の門司港にあるギャラリーにて開かれた作品展。明るくエネルギーにあふれる作品に、通り過ぎようとした人たちも、思わず足を止め、ひきこまれ、2000人以上の方々が訪れてくださいました。
5/8 ふじの会様による食事作りの奉仕始まる
地域の方々が月に1度、郷土の料理をつくってくださっています。
10/9 福井達雨 故河合隼雄様との対談
東京霞が関にて熱のこもった話し合いが行われ、多くの感動が広がりました。
10/14 創立40周年記念の集い
1600人以上の方々が訪れてくださり、喜びと感謝の時をもちました。

2003 年
4/26 滋賀県立大学オーケストラ部の演奏会
創部以来毎年、オーケストラの生演奏をしてくださっています。近隣の保育園、幼稚園の子どもたちも招待し、止揚学園の仲間たちと共に聴き、初めて見る楽器に皆の目が輝きました。


7/15 「おがたホール」新築工事着工
長い間使ってきた「新館」食堂の建物を解体し、おがたホール(創立当初より共に歩んでくださっている緒方純雄先生の名前をいただく)の新築工事が始まりました。
8/26 滋賀県「椋川山の子学園」にてキャンプ
さわやかな大自然の中、川釣りや散歩をし、楽しむ時をもちました。
10/24 明石弁才天厚生館にて作品展
明石で始まり、皆の作品は加古川から播州地区をめぐり、多くの方に見ていただきました。

2004 年
4/1 グループホーム「止揚の家」開設


5/5 「弱いことこそ強いのです」出版
7/19 おがたホール完成し、「建物完成の喜びを共に分かち合う集い」開催
多くの方々のお力添えにより、食堂、風呂、地域交流のホールを備えたおがたホールが完成し、喜びを分かち合いました。

2005 年
3/22 神戸の中華料理店で御馳走をいただく
神戸基督教改革宗長老会 故楊彰奮先生が止揚学園の皆を招いてくださいました。
6/22同志社大学留学生別科よリ83名来園
アジア、欧米、アフリカ各国の言葉がとびかい、食事を共にし、心と心の交流をしました。
「みんなみんなともだちや」と笑顔が広がり、世界の平和を祈りあいました。
11/10 近江八幡和船観光協同組合様による水郷めぐりの招待
手漕ぎの和船に乗り、ゆったりと自然を楽しみました。以後、毎年招待してくださっています。


11/20 メタセコイヤの苗木を5本植える
温かいお心によりいただいた苗木はすくすくと大きく育っています。
11/21ビューティサロンモリワキ様による奉仕
美容師さんたちが月に一度、皆のカットやネイルをしてくださり、笑顔が広がっています。定期的に来てくださっています。

2006 年
12/2 阿閉恭子さん召天(39歳)
長い闘病生活を送りましたが、その間、地域の病院関係の方々に愛され、優しさの輪を広げてくれました。毎年、長浜の実家で記念会をもっています。

2007 年
4/15 パキスタン・カラチよリダールムサラート校長のヨーザフ・アルフリーダさん来園
共に生活する中で、障がい者(児)教育の心を学ばれました。
7/1 止揚学園が障害者自立支援法による障がい者支援施設となる
この法律は福祉の企業化、合理化を進めるものですが、私たちは優しい心を大切にし、生命を育んでいくことを再度、決意しました。
7/2 機関誌「止揚」の100号出版
「はばたきの集い」を行い、記念会と小林道夫先生のピアノ演奏会を開きました。

2008 年
8/18 滋賀県北小松にてキャンプ
琵琶湖畔のキャンプ場で自然に親しみました。
「生きるってうれしいなあ」出版
「やさしい心をもっていますか」出版

2009 年
5/8 近江八幡市「白雲館」にて作品展
1000人以上の方が来館。止揚学園が創立された地で沢山の出会いが生まれました。
6/19本館大屋根の修理工事をする
大雪や大雨にも耐えられる屋根となりました。

2010 年
2/19 スプリンクラー取り付け工事完了
スプリンクラーが各棟に設置され、より防火性の高い建物となりました。
3/14 KBS京都「ふれあい賛歌」の番組放映
4/23 タイルの壁画第2作目完成
皆で描いた「輝く太陽」のタイル画が中島大祥堂様の新工場にはめ込まれました。
8/24 福井県高浜市でのキャンプを楽しむ
日本海で泳ぎ、身も心もゆったりと波のゆりかごにまかせる時をもちました。

9/18 福井鍾くんさん105歳のお祝い
いつも止揚学園を見守ってくれている「おじいちゃん」の誕生日に主治医の寺井晉先生や滋賀県嘉田知事も来園。2011年10月106歳で召天されました。

9/22 金城学院中学校 恵愛祭招待
この時20回目の招待となりました。舞台で止揚学園の話や歌の披露、おいしい弁当の昼食、中学生と手をつなぎ、各教室の催しを見て楽しみました。

2011 年
1/8 兵庫県伊丹市立工芸センターで作品展
「色鮮やかな作品を見ていると、元気が出ます」との感想をいただきました。2000人以上の方が訪ねてくださいました。
「見えない言葉が聞こえてくる」出版
1/18 ベアンテ・ボーマン先生御夫妻によるチェロの演奏会
やさしく美しい音色にうっとりと聞き惚れ、ミヨシ石鹸株式会社社長三木晴雄様よりの嬉しいプレゼントに皆の心は解き放たれ、笑顔があふれました。


3/11東日本大震災が起こる
すぐに被災地を訪れ、共に行動し、被災した子どもたちを連れて帰り、止揚学園で一緒に生活しました。その後も共に祈り、行動する日々が続いています。
12/25 止揚学園クリスマス礼拝・祝会
創立当時から、12月24日にクリスマス・イヴ礼拝、25日にクリスマス礼拝、祝会をまもってきました。この年は岩手県陸前高田市で地震、津波の被害を受けた小澤さん一家も来園され、共に過ごしました。イエスさまによって、苦しみも喜びも分かち合い、新しく歩む大きな力を与えられました。

2012 年
6/25 奥居かをるさん召天(50歳)
止揚学園で41年間を共に過ごしました。相撲が好きで、明るい話題をふりまき、皆を楽しませてくれました。
7/9 50周年記念事業 福井県勝山市の旅
恐竜館、かまぼこ工場等の見学。山のホテルで温泉に入り、フルコースの料理を食べ、ゆったり過ごし、楽しむ素晴しい時でした。


9/29 止揚学園創立50周年を迎える
東日本大震災に逢われた方々と共に祈りをもって歩む1年として、深い思いの中で「集い」を延期しました
10/8 召天者記念礼拝、運動会
毎年、体育の日に行い、止揚学園の納骨堂に納骨されている方々も生前、楽しい事が好きだったので、記念礼拝をもち、運動会を共に楽しんでいます。
この日は奥居さん、瀬上先生、加邊先生、親の方2名が止揚学園の納骨堂に納骨され、天国で共に生活を始められました。
12/9 みんな兄弟姉妹です
止揚学園で新しく生活し始めた知能に重い障がいをもつ仲間3名が日本基督教団 能登川教会にて井上勇一牧師より洗礼を授かりました。神様によって皆が兄弟姉妹となり、仲良く力強く歩み始めました。

2013 年
4/30 服部君子さん召天(63歳)
長い闘病生活を送りましたが、止揚学園の四季折々の行事の日や皆の誕生日を心より喜び、楽しみにして過ごしました。入院生活中も病院の許可を得て、クリスマス、ひな祭り、花見の行事に参加し、君子さんの笑顔も輝きました。47年間を止揚学園で共に過ごしました。
10/14 止揚学園創立50周年記念の集い
皆様のお祈りとお支えにより、創立50周年の集いを感謝のうちに迎えさせていただきました。

2014年
3/30アインズ様よりバスケットボールの試合の試合に毎年招待して下さる。
滋賀レイクスターズのプレーにみんな大喜びでした。
4/9高田真理子さん入院
原因不明の発熱後食事が摂れなくなるが、みんなの折りの中奇跡的に回復し、5月に退院。その後職員が喀痰研修などに積極的に参加し、これからについて考えていく。
12/14愛知県師勝はなのき幼稚園様よりクリスマス会に招待していただく。
長年にわたりお支えいただいている江南幼稚園様と共に園児のみなさんたちと楽しいクリスマスを過ごさせていただいています。

2015年
3/12土砂災害の勉強会をする。
広島の土砂災害があり、止揚学園に隣接する山の状況を県より見に来て下さり土砂災害の勉強会に職員が参加する。
8/31モンゴルより障がい児教育を学びに来られる。
6/1インドよりトーマスさん研修に来日
インドにあるナバジョティスクールより2か月の研修に来られました。世界の共通語は心だと実感した交流のひと時でした。
7/15園長を引き継ぎ新しく出発しました。
元気なうちにと創立者の福井と園長の面条より福井生が運営を引き継ぎ園長に就任しました。
7/26あじさい邸が新しく生まれ変わりました。
止揚学園が能登川に移転してはじめて建てられた、あじさい邸の床と天井、壁の工事をして新しく美しく生まれ変わりました。

2016年
1/24緒方先生召天
創立前からずっとお支え下さった緒方純雄先生が老衰のため95歳で亡くなられました。今もこれからも天国で私たちのことを見守って下さっていることを思います。
2/12 ホームページリニューアルをしました
ホームページ「ゆっくり歩こうなあ止揚学園」をリニューアルし、スマートホン対応とする。
5/1 「止揚」創刊号発刊
アインズ株式会社様のご支援の中で、季刊誌「止揚」をリニューアルし、B5判で全面カラーとする。
7/26 相模原事件が起きる
津久井やまゆり園にて19名の命が奪われる。8/3に京都新聞にて福井生の記事が掲載される
12/14 久友会様餅つき大会を開催して下さる
近江八幡「久友会」様が杵と臼を持って来て下さり餅つき大会を毎年開催して下さる。

2017年
4/1 社会福祉法人改革・社会福祉法改定
汀会定款を変更し、理事会・評議員会の在り方を変更する。
9/9 馬嶋純子さん召天(58歳)
長く一緒に生活してきた純子さんが直腸がんのため天に召されました。いつも優しい笑顔で止揚学園のお姉さん的存在でした。

2018年
3/29 短期入所の指定を受ける
止揚学園で短期入所(定員2名)の指定を滋賀県より受ける。
6/23 淡路島旅行始まる
小グループに分かれて1泊の淡路島旅行に毎年出かける。「キャンプ、キャンプ」とみんな大喜びです。
6/30 福井生の出版記念講演会を行う
園長の福井生の処女本「あたたかい生命と温かいいのち」がいのちのことば社より発行され、日本キリスト教団京都教会にて出版記念講演会を行う。
8/26 「ぬくもり作品展」開催
日本キリスト教団銀座教会にてぬくもり作品展と福井生の出版記念講演会を行う。

2019年
3/26 田代常明さん召天(70歳)
創立時から入園し、長く共に生活してきた田代常明さんが急性心筋梗塞のため召天される。みんなのお兄さんが天国に旅立ったことは、止揚学園にとって一つの時代が移り変わったことを思いました。
4/11 同志社大学神学部「地の塩プロジェクト」始動する
「宗教と社会福祉」の講義を受ける同志社大学神学部の学生さんがフィールドワークとして来られ、畑仕事や炊事、掃除、食事を共にされ信仰の学びを体感される。
5/22 野々川徹さん召天(58歳)
幼い頃から止揚学園で共に生活した野々川徹さん。段々食事を摂ることが難しくなり栄養点滴の生活となり、58歳で召天されました。私たちの様な言葉がない中でしたが、たくさんの目に見えないものの大切さを教えていただきました。

2020年
2/27 新型コロナウイルスが流行する
新型コロナウイルスが流行し、止揚学園でも感染対策の生活が始まり、一緒に食事をすることすらも出来ない日々が3年以上も続きました。
7/31 本館・西館完成
2019年11月に起工式を行い「生きる家」が完成しました。入園している仲間たちが年を重ねた中でも、そしてコロナ禍の中でも快適に過ごすことが出来ました。


8/28 建物解体
あじさい邸・かわぼ邸・洗濯棟・止揚邸・プレハブ棟・汀邸を解体し、旧館のトイレを洗濯場に改築しました。

2021年
11/1 能登川病院様が嘱託医となって下さる
長い間お世話になった寺井先生から引き継ぎ、能登川病院様が止揚学園の嘱託医となって下さいました。皆が年を重ねて体が急変した時にも、すぐに対応して下さり安心です。
12/22 登録特定行為事業所として登録する
胃ろう処置の必要な方がでたため、特定認定行為事業所として登録を完了しました。

2022年
2/24 ロシアによるウクライナ侵攻が始まる
9/6 創立者の福井達雨召天(90歳)
創立者の福井達雨が急性心筋梗塞のため神様のもとに旅立ちました。9/7に前夜式、9/8に告別式を行いました。
9/11 福井達雨納骨式を行う
止揚学園職員で最初の納骨者となりました。
12/9 止揚学園・止揚の家で新型コロナウイルスクラスターがおきる
初のコロナ感染者が発症した後、瞬く間に感染拡大し、職員・入園者合計33名が感染しました。重症化することなく1月4日に収束しました。

2023年
4/17 野口依久子さん召天(61歳)
良く動いて、よくお話をしてくれた依久子さんでしたが、筋萎縮性側索硬化症で召天されました。依久子さんと過ごした沢山の思い出がみんなの隣で楽しく優しく語りかけてくれ私たちの心を照らしています。
5/8 新型コロナウイルスが2類から5類に移行する。
5/13・5/27 止揚学園創立60周年記念の会(思い出が照らす方へすすむ会)を行う
2日間に渡り、1年延期していた創立60周年の記念式を行うことが出来ました。いつも止揚学園を温かく支援してくださる500名の方が集って下さり、共に喜びを分かち合いました。


6/22 プールが新しく生まれ変わる
43年前に完成したプールが老朽化したため大改修工事を行いました。新しく生まれ変わったプールで暑い夏を乗り越えていきたいです。