止揚学園で共に働きませんか~現場職員の声~
現場職員の声(その1)
止揚学園の職員になった5人に自己紹介と実際に働いてみてどうかを話してもらいます。
(自然豊かな止揚学園の近くの川沿いを仲間たちと散歩する良太郎さん)2020年4月就職
はじめまして、大阪から来ました村上良太郎と申します。
止揚学園には自分よりも先に就職した友人の紹介があって知りました。大学4年生の時に自分の進路を考えていたときは、初めは知能に重い障がいがある人との関わりは考えたことはありませんでした。どちらかと言うと学生に人気な旅行業や金融、保険などを中心に考えていました。
しかし大学時代に何度か止揚学園に来てみてお世話になり、人と人の繋がりを本当に大切にする価値観であることや、言葉がうまく話せない仲間の人たちが自分のできる範囲で気持ちを伝えようとしてくる姿を見てすごく優しくあたたかい気持ちになりました。介護や福祉の仕事はしたことがありませんでしたが他では得られない経験ができると思い応募をさせてもらいました。
去年は感染症の影響から止揚学園も仲間の人たちのいのちを守るために様々な対策や生活様式に変更がありました。より良い対策を求めて日ごとに変わっていくやり方や、施設内に感染者を出さないために守るべきルールも多く、単調さと気苦労が絶えない一年ではありました。しかし仲間の人たちがいつも笑顔で話しかけてくれたり自分に返事をしてくれることに嬉しくなります。「疲れているかな?」と思って仲間の人たちに話しかけると、不思議と逆に自分が「もう少し頑張ろう」と元気をもらうことも多かったです。
仲間の人たちはうまく話したり感情をうまく伝えられないことが多いと思います。でも一緒に生活していくうちに、仲間の人が伝えたいことが、言葉がなくてもわかる時があります。その時に言葉がなくても繋がれたことに嬉しくなり、自分がこの職場と彼らの価値観に立てたという成長を実感できます。
止揚学園では「目に見えるものより 目に見えないものを」という考え方があります。聖書からの引用であり、もともとは神の存在について述べた文だとはおもいますが、別の見方をすると仲間の人たちと暮らすなかでの大切な考え方も表していると思います。私自身もひとりのキリスト者です。神の存在と助けを謙虚に認めつつ、仲間の人たちの目には見えない思いや感情も謙虚に理解しようとする職員でありたいです。
現場職員の声(その2)
(淡路島の海が見えるパンケーキ屋さんでけんじさんと祐太朗さん)2019年5月就職
はじめまして。2019年5月から止揚学園で共に歩ませていただいている清水祐太朗です。
私は、イエス・キリストを自分の救い主として信じているクリスチャンです。出身は兵庫県西宮市です。
大学卒業後、児童養護施設の職員として働きました。それからKGK(キリスト者学生会)のインターンを経て、現在に至ります。
止揚学園を知ったのはラジオでした。ラジオ関西「モリユリのこころのメロディ」という番組で、福井生園長が出演され、私は偶然この回を聴いていたからです。丁度自分のこれからのことを考え、自分に示されている道について思い悩んでいる時でした。それから不思議な導きで止揚学園に就職しました。
止揚学園は繋がりを大事にする場所だと思います。ある日の夜勤、真夜中に一人の仲間の方が珍しく頻繁に部屋から出られることがありました。その方は言葉が話せないので、何を伝えようとしているのか分からず、お互い困りました。祈りながら悩む中で、ひょっとして『そばにいてほしいのかな』と思い、寝室の布団で横になっている仲間の傍にいることにしました。しばらくすると、ゆっくりと朝まで休まれました。そして今まで分からないと思っていたのは私だけで、仲間の方たちはどんな時も私を受け入れ、私に語りけてくれていたのだと気づきました。この時、仲間の方々の心と私の心を神様が繋げて下さったのだなと感じました。
この繋がりを大切にする止揚学園。いつも神様が側にいて下さる中、障がいのある者もない者も一緒に私は歩みたいです。
(淡路島の菜の花畑にてわかよさんとYさん)2018年4月就職
私は大学の授業で止揚学園のことを知りました。4回生の頃、進路について祈り悩んでいる時、止揚学園に実習に行く機会を与えられました。園長の福井生さんから「障がいのある人と一年でも二年でも過ごすのは神様から与えられる時間だと思うよ。」との言葉で神様が私の人生の中で障がいのある仲間達との時間を与えて下さると確信して、家族として歩もうと決めました。
日々、仲間の人たちと共に生活する中で教えられたことや、考えさせられることが沢山あります。仲間の人たちは自分の気持ちに嘘をつきません。嬉しい時、楽しい時、悲しい時、怒る時・・・すべてありのまま表現します。正直そのものです。私はそんな仲間たちとのゆっくりとした優しい時間がとても好きです。同じ場所、時間の中で生活していても仲間の人たちの心を感じることなく、またそのような心をもたなければ、共に生活していることにはならないのではとも思います。
私は時に仲間の人と自分との向き合い方を自らに問いかけます。
(仲間の人たちににどれくらい寄り添えているのだろうか)
例えば「車いすの人をベッドから移乗する時、痛くなかっただろうか」とか、「話すことが難しい仲間の人の心の声を聞くことが出来ただろうか」等々。この一年不安になることがありました。
しかし止揚学園で生活して気付いたことは、自分が寄り添えたかではなく、仲間の人が私にいつもどんな時も寄り添ってくれているということでした。
今、共に生きることは深くて優しいことだと感じています。また、止揚学園に来て下さる方々とも仲間の人たちを通して、沢山の出会いを与えられた一年でもありました。多くの人と温かい心は繋がるということも実感しました。私の友人もこの一年に10人も止揚学園を訪ねてくれました。止揚学園の仲間の人たちはいつも、誰でも歓迎してくれます。それをみていて自然と私も笑顔になります。
私たちは調べたいことがあればすぐに機械で検索し知ることが出来る情報社会に生きています。でも反面、人と人の繋がりが薄くなりがちな社会の中で、人を思いやるあたたかい優しい心をもち、人の心の痛みに敏感な者でありたいと思わされます。
一人ひとりに与えられている賜物は違いますが、それを通して神様の栄光が現されることを学生生活で学びましたが、障がいも神様からの賜物だと思います。
職員としてはまだまだですが、障がいのある仲間が私を受け入れて下さり、神様がこの仲間の人たちとの時間を与えて下さるので、これからも止揚学園で歩んでいきたいです。
現場職員の声(その3)
止揚学園で働こうと思ったきっかけや、実際に働いてみてどうかなど質問してみました。
福井泉さん(2016年就職)
Q、どうして止揚学園で働こうと思ったのですか?
A、私は両親が止揚学園の職員で、生まれた時から止揚学園にいました。東京の大学在学中に止揚学園とかかわりのある教会や、学校、幼稚園に行くことが多くありました。私が「止揚学園でうまれました」というと皆さんとても喜んで歓迎して下さり「止揚学園はいつ行っても私たちを『家族』のように迎えて下さる」といわれました。止揚学園から離れて生活してはじめて、帰る場所があるということの大切さ、そんな場所があるという安心感があるからこそ自分が頑張ることが出来るのだと気づきました。そしてそんな場所をこれから自分が守り続けていかなければと思ったのです。
Q,実際に止揚学園で働いてみてどうですか?
A,子供の時と現在では立場が変わり、見えてくる景色も全く変わりました。子供の時、障がいをもつ仲間たちはそこにいるのが当たり前で近すぎて見えないでいました。でも今、一人ひとりと向き合ってみると、いろんなことが見えてきました。私が黄色い服を着ていると「きいろ、きいろ」と嬉しそうに話しかけてくれるふみこさん。食事のあと私が座っていた座布団を運んでくれるじゅんさん。いつもは豪快なのにうがいの水はチョロチョロとだすよしこさん。私はこんな何気ない日々の生活で流れる、ゆっくりとした仲間達と過ごす優しい時間が大好きです。
Q、今後の抱負を聞かせてください。
A,ここまで私を育ててくれたのは、入園している障がいのある仲間達です。生まれた時から今までこの障がいのある仲間の人たちから笑顔をもらっていたのだということに改めて気づきました。私を育ててくれた止揚学園という場所を、そして仲間たちの笑顔を今度は自分が守っていきたいです。
現場職員の声(その4)
「この仲間たちとともに」 牧瀬 智寛 (2013年就職)
私は、大学で初等教育を学び、将来は子どもに関わる仕事ができたらと、漠然と考えていました。そんな時大学の実習で止揚学園と出会いました。
ここには、たくさんの温かさや優しさ、命を預っているという責任感とやりがいがあります。また、一日一日新しく教えられる事があって、その都度に力を与えられるすばらしい世界です。
これからも、この出会いに感謝しつつ、この仲間たちと共に、笑顔の絶えない、明るい歩みを続けていきたいと思っています。